〜バンドブレーキの誕生と変遷物語 NO2〜
自転車は、ドイツで生まれ、フランスで育ち、イギリスが世界中に普及させたと言われている。
おおよそ80年間で急激な進化を遂げた。
自転車の始祖と言われるているのは、
1817年、ドイツで発明された「ドライジーネ」である。
馬は餌がいるし世話も焼けるから、機械の馬を作ろうというのがきっかけだった。
足で地面を蹴って進み、ペダルもブレーキもなく、
現代の幼児用トレーニングバイクと似たような、ハンドル付き足蹴り二輪車であった。
1861年、フランスにて、ペダルがついた最初の自転車「ミショー車」が発明され、
貴族の間で流行していたレースに使われていたため、
スピードを求めてどんどん前輪が巨大化し、自転車は危険な乗り物になった。
当然、スピードと安全性の両方が求められるようになり、
イギリスで小さな踏力で車輪を速く回転させるチェーン駆動を発明、前輪がぐっと小さくなった。
後輪駆動も発明され、ペダル位置が前後輪の中間になり、
低重心で足がすぐ地面に届くようになり、安全性、操作性が格段に向上していった。
そして、現代の自転車の原型となる自転車が発明された。
1885年、イギリスの「ローバー号」である。
さて、
日本に自転車が渡ってきたのはいつなのかというと、
前後複数年の諸説があるが明治3年(1870年)説がもっとも有力で、
前輪の大きなミショー車がアメリカから持ち込まれたそうだ。
その頃、国産自転車が存在していたのか定かではないが、
人力車が日本の交通手段として実用化されたのは明治3年のことであるから、
自転車の国産能力を有していたと言えそうだ。
日本人は人力で人やモノの運搬していたため、(例えば籠や人力車)
初期の日本の自転車は、個人が乗るよりも複数人やモノを運ぶ目的で、
それゆえに三輪や四輪の大型車がほとんどだった。
現存する最古の国産車「三元車」は明治9年(1876年)に開発された一人乗り三輪自転車で、
現在はトヨタ産業技術館に保管されている。
その頃に輸入されたミショー車は、現在の価値に換算すると一台400万円と高額だった。
明治維新以後は新しもの好きが増えて、自転車に乗りたがる人が多かったため、貸し自転車の商売が流行した。
それを見た職人たちが見よう見まねで鉄製フレームと木製車輪でミショー車や三輪車を手作りし、
国産車は輸入車の10分の1くらいの価格になった。
その後、後輪チェーン駆動、空気タイヤがついた安全車の登場により、自転車のイメージが一変したが、
庶民の手がとどく代物ではなかったため、ハイカラ紳士の趣味としてもてはやされ、お金持ちのステイタスとなっていった。
ドラマ「坂の上の雲」に、華族学校のお嬢様たちが自転車レースをするワンシーンがあったのを思い出す。
そういった自転車レースは次第にセミプロ化し、自転車の用途がスポーツ用に変わっていったが、
明治時代が終わるころから国産自転車の価格が下がりステイタスシンボルではなくなったため、
富裕層は自転車ばなれし、大衆化がはじまった。
唐沢製作所は、運搬・移動手段として自転車の需要が拡大し、国内生産が輸入を凌駕した頃の大正9年(1920年)に自転車修理販売業として誕生した。
つづく
(参考:自転車物語 スリーキングダム 王国の栄枯盛衰)