弊社は、埼玉県草加市に本社と工場を構えております。
草加市といえば”草加せんべい”が有名なので、
何となく聞いたことがある方も多いかと思います。
では、なぜ草加に本社・工場があるのか?
実は自転車における地政学を読み取ると至極納得がいきます。
今回は、弊社サイドからの口伝をたどるのではなく、客観資料から読み解いてみようと思います。
しかし、このことを深堀していくと、まるで「自転車大河ドラマ」のように壮大なストーリーが始まりますので、簡潔にまとめないと
なりません。
弊社は1920年に東京 御徒町で創業しました。
そして、1968年に事業拡大に伴い埼玉県草加に新工場を建設します。
この繋がりを今に示すのが、「箱それぞれ」の箱に記載されている「株式会社唐沢製作所 東京 埼玉」です。
工場移転から遡ること15年、
1953年「通商産業省工業統計」によると、
自転車工場は
全国で1574件
あり、
東京・名古屋・大阪にその75%
が存在していたとのことです。
とりわけ東京は、
荒川区南千住駅を中心に半径6kmの圏内に、東京内の自転車系工場の80%
があり、サプライチェーンが形成されていました。
より詳細に見ていくと、
荒川区に完成車・部品メーカーが多く集積されており、
現在の京浜東北線の川口あたりまで中小規模工場の点在していました。
(この6km圏内にセキネサイクル、ミズタニ自転車の工場があり、埼玉県川口市には山口自転車の工場がありました。)
さて、ここで埼玉県が登場するのですが、
先の工業統計によると、
東京は490工場、
千葉12工場、
神奈川19工場、
埼玉34工場(しかも従業員数760超)
となり、関東では埼玉県が東京に次ぎ自転車系工場が多かったことが窺えます。
今も昔も東京は首都ですから、
新規に大規模な面積を確保するのはなかなか難しく、
広い敷地を求めつつサプライチェーンの地の利に恵まれた場所となると、
埼玉県、しかも川口市や草加市がベストな選択だったのでしょう。
しかも、川口市は「キューポラのある街」の舞台にもなった、工業都市です。
工場立地の為の優位性は言わずもがな。
なんだか川口市の話になっていますが、、、。
そう、弊社は草加市といっても数十秒歩けば川口市。
工業が勃興した一帯であったことには変わりはありません。
以上が過去の資料から読み解いた
弊社が草加に本社・工場を移転した理由です。
参考文献:日本における自転車工業の立地 / 地理学評論 33巻(1960)8号